早かった。
もう終わった、という気持ちが最初に出てくる。例年とは違った感覚で。
元旦の朝、初詣に行ったときのことがごく最近のことのように感じる。今年の出来事は小さなことまで思い出せる。代わりに、去年のことと一昨年のことが区別できなくなった。
大きな変化のあった年だった。
それなりに考えて動いてたと思う。こんなに考えなくてもよかった、とはもっと思う。
しなくていいことをたくさんした。
こんなに整理がつかないまま年を越えるのも珍しい。書くことには困らなくていいか。
これまでの人生ではましな方の年だったと、それぐらいは認めていたい。
現場のほうの総括
ここまで読んでくれてありがとうございました。
もうひとつひとつ集計しても仕方ないので、一番多いものだけ
※ ()内は全体の合計数
犬麻るか:266枚 (289枚)
AQ:50回 (83本)
大塚Hearts+:6回
チェキは増えた。現場は増えなかった。
ライブを見る時間が減った。ライブハウスの中にいる時間はすごく増えた。
総じて、本当に疲れた。自分にはかなり頑張る必要があった。みんな頭おかしいと思う。
不快な瞬間と、それを警戒してる時間がことさらに長かった。言語を解さない人間を、もっと簡単に殴れればよかったと悔しくなる。
各月振り返り
1月
何をしていたか覚えていない、たぶん何もしてない。年末年始は帰省しなかったが、珍しく初詣に行って初日の出を見た。
急に、家にいるのに耐えられなくなってひたすら山手通りを歩いた休日があった。こういうエネルギーの遣い方ばかりしている。
2月
混沌としたフラストレーションの矛先を求め、急に勢いだけで転職活動を始める。昼も夜もなく毎日何かしらの予定が入ってるのは闘争本能を刺激されて痺れた。後半はそれなりに小忙しくてよかったと思う。
今年の梅まつりは一人で行った。羽根木公園という空間がすでに自分にとって特別な概念になりつつある。
3月
ガチ有能なエージェントが粘りに粘って第一志望から内定を貰う。3週間で終わることを始めるのに2年もかけてしまったことに、自分が本当に阿呆らしくなる。
今年は桜をたくさん見た。年々、花鳥風月への憧憬が大きくなるのを実感する。
月末、おもしろ半分で平日に有給を取り、京都へ。
どういうわけか特典会で突如として開眼する。
脳が不可逆的につくりかわったのが、はっきりとわかった。
自分を望んだ方向に転がそうとあれこれ企てていても、全く予想のつかない出来事で物事が動き出すもんなんだなぁとつくづく思った。
4月
ようやく点いた種火を絶やさないようとにかく必死だった。
熱いうちに打たなければどうせ自分はすぐに忘れる、それをよく知っていたから。
初旬、大幅に予定を変更して都内の現場に片っ端から行く。
対外的にはっきりとした行動を取りたかった。自らをレールに乗せるために。
月末、弘前まで桜を見に行く。元々これは別軸の予定で、偶然が重なっての出来事だったが、少し巡り合わせを感じる。
旅先でちゃんと写真を撮る、というのは自分にとって歴年の課題だ。
5月
入社して即GW入り、とにかく家で何もしないのが嫌だった。石神井公園で燕子花を、国立昭和記念公園へネモフィラを見に行く。
やはりtipToe.のような、皆が共有する現場がなくなると人に会えなくなる。それでも誰かに会おうと思ったら、ライブ関係なく声をかけるしかない。去年あたりからこういう日がとても増えた。
立川のタップルームで心から惹かれるビールに出会う。去年飲んですごく印象的だったIPAと同じ醸造所だった。自分の知らない範囲で自分が好きになるものにまだ出会えるのは心躍る。
月中、思ってもない形で火に油を注がれた。そんな風に泣かれたら、おれはすべてを灼きたくなってしまう。ここで大きく踏み外したのを理解した。
何を聴いても、なんなら音楽が流れてなくてもいつでも涙が出てくるようになった。経験したことないくらい脳が異常に活動してるのを感じる。
6月
給与の締め日が変わった関係で、洒落にならないくらい生活が苦しかった。死ぬほど日雇い行った。本当に痺れた。短期的な命を脅かす現象は、長期的な不安を払拭してくれる薬物みたいだとつくづく思う。
15年ぶりに人に恋すると情緒の抑えがまるでコントロールできなくて笑えない。脳が際限なく回り、手に負えないほどの負荷を一日中感じる。日中の居眠りが止まらないのが何よりもつらい。
大阪で初めて中村佳穂を観て、今年一番泣いた。
丸一ヶ月ほど現場を空けることにした。完全にキャパオーバーだった。
7月
感傷的になれるような心の余裕がなく、あまり音楽を聴けなくなった。
週中に人と会えるのはそれだけで救われる。
後半、ようやく座り仕事から解放されて、少しずつ滾っていた。夏の狂騒に混ざっていきたかった。
8月
短い盆休みの間以外、ほとんど仕事のことだけ考えてた気がする。忙しかったというより、取り急ぎほかに考えることもなかったという感じだったように思う。
一転、月末ごろ推しメンのフォロワーがいきなり数千人増えて、手に負えないほど病む。
が、その直後、江ノ島の海を見て完全に克服。
それなりに真剣に悩んでいたつもりだったが、海、あまりにデカすぎて、勝てない。
もう自分がどのようにして病もうと決して覆せないほどの規模感の差を前に、本当に気持ちが楽になった。
自分の情緒で塗り潰せる範囲の世界では、自然現象には何も敵わないんだなぁ、というのがとてもありがたかった。
このあたりから秋のことを考え始める。
9月
完全にこの月を勝負所と認識していた。くさのね、京都爛漫会、推しの誕生日祝い。ここで出せる最大の出力を出さねばと、とにかく気負っていた。
爛漫会の終わり際、無事にすべて終わった安心感で自然と涙が出た。脆すぎだろ。みんなこんなの年がら年中やってんのか。本当にいかれてんの?
まあわかっちゃいたけど忙しさからかあっさりした反応しか得られなかった。
取り組みの割に期待していた成果が手に入らなかったことで、ここから身の振り方を考え直し始める。
10月
アホほどの金欠(何度目?)。恥ずかしながら月2で遠征するのまだキツすぎる。というか日帰りでも東海道が重すぎる(バス使いたくても始業8時じゃ選べないこと多々)。
9月もう十分頑張ったから10月はなんもやりません、なんでも干します。と月初から予防線張りまくってたくせに、結局日雇い入れまくって京都2回と都内も半分くらい行った。同じことやってた6月のこと考えたら壊れるくらい病んでてもいいはずなのに何故か淡々とやってた。どういう成長?
勤務地が立川に変わり、緊張感と忙しさが3倍くらいに跳ね上がる。これはこれで痺れるが、モチベは一向に上がってこない。
ライブ鑑賞ルールに変更、最前で跳び禁に。別にこんなことで死にゃしないんだけど、タイミングが悪い。同じようにそれ単体では死にゃしないようなことを並行して抱えていたことと併せ、だいぶ凹む。
このとき、とても向こうの対応に救われた。またここで、自分の目標を新たにできたことが大きい。
11月
とにかく仕事が忙しすぎる、量というより質的に。同時に3ヶ所に存在してないといけない詰みみたいな状況が毎日起きる。それで死んでるのは俺じゃなくて上司だけど。寝耳に水みたいな話を毎日毎日手遅れになってから知らされる。
別にこんなことで死にゃしないけど苛立ちが募るばかりでなにも楽しくない。
いよいよ負荷の大きさを悟り、3年ぶりにコンサータの服用を再開する。いまいち効きが安定しないが、眠くならなくさえなれば別になんでもいい。
日中の食事が減り、アルコールの量が増えた。こういうとこは3年前と一緒。
これまでと真逆に、音楽しか聴けなくなった。ラジオとSNSが、うるさくてかなわん。閉じてきてんなぁ。一日中nujabesばかり聴いていた。
きっと慎ましさが足りない。
12月
当たり前だけど月を跨いでもなにか流れが変わるわけじゃないんだよな。己の情動を軽視して、やるべきことを淡々とやる。そういうものが大人で、それが自分に足りないものだと思ってたからそれをなぞってるけど、それがだれの笑いにもならないとなるとさすがに報われない。
休日のたびになにか突飛な真似をして帳尻を合わせようとする衝動に駆られる。お前いくつなの?
どれだけ潜在的な衝動を蔑ろにしようと、満たされたい、選ばれたいという欲求からは逃れられず、整合性のとれる行動を選ぼうとすれば必ず己も身の回りも火傷するような選択ばかりしている。いいかげん、いい加減にやることに平気になりたい。
後半になればなるほど苦しかった。どこにいっても暴言ばかり吐いている。おれはどうしたかった?そんなもん最初からないんだから知るわけないけど。
潜在意識と顕在意識の間で、言動に大きな隔たりが表われ始めた。
身に起きた変化
本当に口が悪くなった。口が悪くなった、と言われることも増えた。
何の笑いも生み出さずに自分が毒を吐いてることには驚いたし、それがパフォーマンスというわけでもなく、実際に強い憤りを感じてることには危うさも感じた。
おわりに
ようやく念願だったところに来れました。
苦しかった。苦しみの総量でいったら変わってないけど、でも何も持たないよりこっちのほうがずっとよかったです。前回の反省から、今回は箱のファンにはならないと決めています。
毎年のことではあるんですが、今年はいつも以上に周りに甘えさせてもらったなと思います。ありがとうございます。精神的にすごく助けられました。
一方で、一度くらいしか会えなかった方、一度も会えなかった方も多く、もっと話したかったな……という切なさもあります。来年も仲良くしてもらえたら幸いです。

雑感 (25.12.31)
きっと危なくなってきてると思う。
自覚してる自己の在り方と、実際に起こした行動、それに対する周りの反応、何もかもにずれを感じる。
結局なにもわからなくなってしまった。
どうしたいか、なんてものは始めからない。それを大事にする気が起きない。
どうすべきか、もわからなくなった。求めていた成果は得られず、徒労ばかりが目立った。
どうしたら面白そうか、についても考える余裕がなくなってきた。
まずはやらなくてもいいことをやらないようにしないといけない。それなのに淡々と暮らしをやっていける気がしない。期待したくなってしまうのを止められない。凪の中ではきっと渇ききってしまう。
正直まだ続けられるとは思う。でもなにも楽しくはない。何より、だれの笑いにもならないのが相当につらい。
まだ好きではいられてると思う。ただ、急に相手のことが嫌いになって、それで全部を終わりにしてしまう可能性が、案外もう近くに転がっていることに気づいた。今はそれが一番怖い。
なにがあっても自分からは降りない、ということを課したはずだった。2年前みたいに、対象への気持ちが一気にヘイトに傾いてそこで全部終わるような、一番つまらないことにはなりたくない。
楽しかった瞬間を振り返る時間がいよいよなくなってきた。思い出しては怒りに震えるような、そんなことばかりは覚えている。
この頃どうも怒りが手のつけようのないくらいまで膨らんでしまって、これには本当に参っている。その日のことはなるべく忘れるようにしている。それでもふとしたきっかけで、その場に立ち尽くしてしまうほどに怒りが再燃してくる。自分ではどうしようもない。
結果を急ぎすぎてるとは思う。考えすぎてることも知ってる。それでもこの先、なにか良くなることを見出せない。面白そうなことを企むのも無駄だと気づいた。指針を失くしてしまった。
脳の構造が終わってるから、こんなことしか考えられない。わかってたってどうにもならないことだけ